【ギャラリーフォリオ】矢野静明個展

矢野作品はどれも上記4種類の時間・記憶・歴史を様々な配分で想起させる。作品ごとに時間の感触は異なる。例えばその画面の小ささによって描くことのできる堆積密度が制約されているはずの「廃墟の街」は、しかし極めて重く古い時間を感じさせる。同じ作品でも照明の明るさで感触が異なる。人間の認識構造に起因する光量と線・色調感知の機序にも関係しているのだろう。同じ視覚体験の中で複数作品群に接すると、作品群が相互諸関係に入り、記してきた諸記憶・時間・歴史の感触は複雑さを増す。

冒頭で述べた、矢野作品を視ることから得られる「人の生」の感触は、人の生はこうした諸記憶・時間・歴史の層の様々な配分と絡み合いに折り込まれているという感触、と表現できるような感触である。「人の生」と言いながら、しかし人が中心要素であるとは感じない。中心は非人間的なものも含めた諸記憶・時間・歴史の総体であり、人の生はその部分として様々な形で折り込まれているだけである。作品を視ていると、視ている現在も私の生もすでに同様にその中に沈みゆく一部だという感触を覚える。私は矢野作品を、部屋に飾る絵画作品として独立した物体というよりも、生活の中に溶け込むものだと感じる。そう感じる一因はこの「人の生」の感触にあるのではないかと思っている。こうした感触を物理的に生み出すのは、矢野作品の支持体、地塗り、点、線、色彩、形象、配置、構図、マチエール、という絵画要素で、こうした諸要素自体も極めて魅力的なので、私は矢野作品を「絵画作品」としても堪能している。

(1.1) (1.2)で述べた事柄を感じるのに、視覚と同じくらい触覚あるいは皮膚感覚が動員されている。このことは冒頭に「感覚」よりも「感触」の方がしっくり来る、と書いたことと繋がっている。

(2.1) 私が画面を一挙に視るという瞬間的な時間と、同時にすでに画面を視線が辿っているプロセスの時間(生理学的に視線は常に動いている)がある。視線の焦点を画面内諸要素に向けてみる。要素が要素として立ち上がるのに時間差あるいは複数の時間がある。焦点を移動させると、焦点を当てた箇所の周辺諸要素は視界の周縁部に時間差と強弱の差を伴って立ち上がる。こうした諸要素を巡る諸時間は、おそらく視線を集中する時間の差異、および要素を構成する色彩・密度・形態の配分の違い、に基づくのだろう。このような諸時間を伴いつつ、ある程度の長さ持続する1回の視る体験(私の場合は所有する10作品を視る体験)において(1.1) (1.2)で記した事象を体験する。

(2.2) 諸感覚は記憶と密接に結びついている。上述の諸記憶・時間・歴史の層は視る時々によって様々な組み合わせで感じられる。組み合わせはおそらく視る体験ごとに微妙に異なっている。矢野作品を毎日何度も視る。こうした絵画(鑑賞)「の」記憶が積層する。絵画「から」生じる諸記憶の層と、こうした諸記憶の層を絵画を視る中で感じたということの記憶の層とが混ざり合う。それに伴い諸感覚・諸記憶は変容する。また作品を視る。さらに諸感覚と諸記憶が変容する。この過程が繰り返し変奏される。

(3) 作品を視るとき、(2.1) (2.2)で記したことのみならず、これまでの私の経験(諸記憶・諸感覚)の常に変容している総体が動員されている。そうした総体を通路として(1.1) (1.2)で述べた感触が生じている。誰でも代替不可能な諸記憶・諸感覚の総体であるのだろう。私はそうした総体として矢野作品に(1.1) (1.2)で述べたように感応する。感応する人は人それぞれの総体の在り方に基づいたそれぞれの仕方で感応するのだろう。矢野作品に感応しない人もいるのだろう。

私の矢野作品を視るという体験を分析した。分析は細部を視るプロセスをある程度捉えているように思うが、述べたように、感触そのものは分析の結果、細部を視るプロセスの結果、生じているのではない。細部を視ることで豊かになるけれども、感触そのものは直感的で言語化されてないとは言え画面全体を視て一挙に生じていると感じる。この一挙に生じていると感じるというのはどういう事なのだろうか。全て諸記憶・時間・歴史の堆積に関連する(1)(2)(3)が一挙にこの感触という関係に凝固するのだろうか。そういう感じもするが違うかもしれない。よく分からない。「私が」「絵画を視て」「感触が生じた」が別々のことではなくその都度一挙にこの関係そのものとして現れるのだろうか。そういう気がしないこともないが違う気もする。よく分からない。

これ以上書くと作品を視て生じる感触の記述に後付け説明(捏造)が紛れ込んできそうな気配があり、これから先の視る体験がそうした捏造に拘束されそうな予感がするので、他文献への言及・他の画家との美術史的な比較・絵画技法の分析を一切欠いたこの文章を、ここで終わりにする。

10.24.2020

文: 佐治幹英(さじ・もとひで)
矢野静明 絵画作品サイト 管理人 / 国際大学大学院 国際関係学研究科 教授

矢野静明 絵画作品サイト: https://www.instagram.com/motohidesaji/
佐治幹英: https://motohidesaji.amebaownd.com/

※本稿は佐治幹英氏のnote(https://note.com/motohide_saji/n/n939070141aaa)に掲載されています。関連する作品画像も掲載されていますので合わせてご覧ください。

矢野静明 (やの・しずあき) 略歴
1955  宮崎県生まれ
1983  和光大学人間関係学科卒業
2001  フリーマン・フェローシップでアメリカ、バーモント・スタジオ・センター滞在
2004  『絵画以前の問いから―ファン・ゴッホ―』書肆山田刊
2014 『矢野静明作品集成』ICANOF出版
2016 『日本モダニズムの未帰還状態』書肆山田刊
現在 神奈川県座間市在住

[個展]
1979  ひまわり画廊/宮崎
1983  村松画廊 「異種交配を」/東京
1985  真和画廊/東京
1986  ひまわり画廊/宮崎
1988  ギャラリーQ 「映像からの落ち穂拾い」/東京
1989  ギャラリーQ 「アルトー・プール1」/東京
1994  プラザ・ギャラリー/東京
1995  リベストギャラリー 「図形に向かって滲みだす」/東京
1996  リベストギャラリー/東京
1997  ギャラリーシティオ/東京
1998  ギャラリーシティオ/東京
1999  ギャラリーシティオ/東京
2000  セッションハウス・ガーデン/東京
2001  レッドミル・ギャラリー/ヴァーモント(アメリカ)
2002  セッションハウス・ガーデン/東京
2003  セッションハウス・ガーデン 「アルトー・プール2」/東京
2005  ギャラリーキューブブルー/浜松(静岡)
2007  マキイマサル・ファインアーツ/東京
2012  ギャラリーアニータ/神奈川
2013  エスニカ「移動・移民」/神奈川
2014  ギャラリーアニータ/神奈川
2014  ギャラリーフェイストゥフェイス 「色彩に関する断章」/東京
2015  ギャラリーフェイストゥフェイス 『線に関する断章』/東京
2018 デザインフォリオ 「潜る・点と線から」/東京

[グループ展]
1981  二人展 あかね画廊/名古屋(愛知)
1983  遊歩者展 銀座えんばホール/東京
1989  第24回今日の作家展―多極の動態 横浜市民ギャラリー/神奈川
1989  新人三人展 調布画廊/東京
2000  英展 田川市立美術館/福岡
2007  南九州の現代作家たち展 都城市立美術館/宮崎
2007  和光大学創立40周年記念展 和光大学/東京
2014  ICANOF第12回企画展『矢野静明 ——— 種差 ENCLAVE』 八戸美術館/青森
2017  特別展「川崎毅と矢野静明」 宮崎県立美術館/宮崎

ほか多数

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